海外で活躍する卒業生 鍼灸41期 西田龍也さん

◆オンライン会報2023

2023年11月24日

海外で活躍する卒業生 ~憧れの入り口に立った漢~ 

専門学校鍼灸学科41期生午前コース西田龍也さん

はじめに文才のない筆者が伝えることにより本日の主人公の成し遂げた事が色褪せないように強く願う。彼は本当に素晴らしいことをやってのけたのだから。

本日の主人公は「純粋になりたいことを考え、その目標に到達するための計画をたて、高い壁に阻まれても想定外の変更があっても純粋に単純に実行し続けた」って話だと思います。

現在米国カンザス州で救急救命士として活躍する彼は、奈良に生まれ大学まで懸命に野球で活躍する青年でした。高校から親元を離れ鹿児島で寮生活を送りながら甲子園を目指し、大学進学後も白球を追う野球人であった。大学時チームメイトにはWBCでも活躍した源田選手もおり二遊間を組んでいたようだ。大学卒業後は自身も世話になった鍼灸医療により野球人アスリートに寄り添うことを希望し本学に入学した。

英語圏内への渡航経験もなく外国語とは縁遠い野球バカは本学1年在学時に姉妹校であるフロリダ統合医療大学への短期セミナーで初めて渡米した。入国審査でいきなり別室に連れていかれ泣きそうになり我々のグループに合流した表情は今も忘れない。短期セミナーに参加した誰もが思うように彼も米国での生活や活躍を夢見た野球バカは帰国後すぐに英会話スクールに通い渡航を計画した。

本業の鍼灸学校での学業と英語能力向上を二刀流で行い無事鍼灸免許取得後、渡米しカンザス州にあるベネディクティン大学に入学することとなる。ノーベル賞受賞者も排出するカトリック系大学は米国の大学にしては小さいながらも美しくのんびりとした大学であった。

当初はスポーツトレーナーを目標としていた彼は途中これだけの自身の努力に対して得られる業務範囲といくつかのより強い情熱とより努力をすることを誓いメディカルスクール(医学校)受験を見据えるようになった。受講科目を変化させ沢山の意義深い科目単位を取得していったのである。卒業後取得単位を利用して救急救命士の資格を取得、就職に成功した。

実は米国での外国人就職はなかなかのハードルとなることが多いのだが、

①4年生の大学を卒業したこと
②取得単位の中に救急救命士受験資格を持つもの
があったことが結果として就職成功となる。

彼はこの経験から救急救命の単位取得を医療英語学習や医療ライセンス取得を目的とした短期留学志望者に進めることがあり、単位取得が可能になるようなショートステイプログラムの作成を私に勧める事になる。

COVID-19の影響でかなりのスケジュールが狂い滞在時間が伸びていき医学部受験に必要な条件を満たす事ができず計算していた年度に受験ができなくなったことに筆者はとても心配したことを思い出す。合法的に長期間米国滞在することの難しさは計り知れない。

日本と米国の教育システム・医学校受験システムや日本でいう医師資格は米国ではかなり異なる。この違いを説明するのは別の機会とするが、日本とは異なった意味で大変な条件を揃えた努力は本当に素晴らしいと思う。中にはボランティアやシャドーイング(医療現場研修)なども入るが、今年無事受験資格を揃え、数校を受験したがここまでの経過だけでも十分に胸を張れるものであると筆者は思う。

今回受験校はカンサスシティ大学とウイリアム・カーニー大学であったが、その一つでミシシッピ州南部にあるウイリアム・カーニー大学を訪れた時のことである。早朝霧で数メートル前の視界がない中旅は始まったが翌日にはビックリするニュースが舞い込むことになる。その訪問の際に、キャンパスツアーの途中にそのニュースは舞い込んだ。事務長がある教授を紹介しその教授に「来年の入学者よ」。合格発表は翌週であり単純に学校を見学する目的で我々は訪問したのだが、事務長のサプライズであった。(その後数校から合格をしらされ別校に入学する可能性が高いだけど。。。)

その場にいた私は驚いたし嬉しかったが彼の途方もない努力を知る私は羽目を外さぬように平静を装った。何もしてない私が彼の喜びの邪魔をしてしまいそうで。あらゆる角度で彼の受験の支援をした大事な方を紹介しなければならない。

Dr.Townsend。本学柔道整復学科の米国研修で大変お世話になった先生はこの野球バカにも大きな支援をしてくださった。シャドーイング・受験校への推薦状・様々なアドバンス・具体的なことを協力してくださったが、何よりも彼自身の存在が野球バカを医師になりたいと思わせるモデルであったのだ。

彼には長い間米国滞在を可能にする恵まれた環境にあったことには違いない。しかし成果彼自身が成果を出す努力をしたことは紛れもない事実である。

受験には外国籍であることは不利になる。22年間を超える時間スタートの遅れや文化背景の違いなど大きな不利要素を跳ね除け純粋に計画的に単純に実行していった彼を誇りに思う。

西田龍也さん からのコメント

僕が小学生の時、外野手から内野手にコンバートしたいとコーチに伝えた時、笑われた。アメリカで医学部に行きたいと決めた時、みんなに笑われた。 でも、やめなかった。笑われなくなるまで。結果、内野手で中学の頃全国大会2回優勝し、大学では全国大会準優勝。アメリカの医学部にも入れた。 医学部在学中に、MBAも勉強したいとアメリカの医大に伝えた時。笑われた。忙し過ぎてそれは難しいよって。でも、人に笑われた目標は達成してきた。だから、今回も達成できる。 人が変わろうとする時、他人は必ず笑う。バカにするし、失敗すればほらなと言うし、成功すれば嫉妬して粗探ししてくる。極論、あなたの失敗成功なんてどうでもいいのです。ただ、バカにして笑う材料さえ手に入ればいいんです。 笑われる目標を立ててください。笑われなくなるまで、諦めないでください。もがいてください。解決策を模索し続けてください。助けを求めてください。必ず助けてくれる人はいます。

“Lastly, I want to give my favorite words to you. If your dream is laughed at, it will be able to be realized. Your dream does not walk away from you. It’s always YOU
who walk away from your dream. You might have failed in the past, which is absolutely not the last failure in your life. Learn from it and move on. Think about the next step. Do not worry. You are running your own race. So, You are not late, you are not early. you are right on time. ”

【房前素徳(専/24期)】